ヴァイオリニスト 久保陽子物語 #2

ヴァイオリンを弾くように仕組まれていた運命

その「カンカラヴァイオリン」で練習していた5歳の時、当時人気を博していた「石井みどり舞踊団」が沖縄公演に向かう途中、台風の影響で奄美大島に停泊したことがありました。そこにヴァイオリンの名手、折田泉氏が同乗しているのを知ったお母様が、お父様を急き立て、「どうか一度、娘のヴァイオリンを聴いていただきたい」と頼んだところ、快く引き受けた折田氏。久保さんのヴァイオリンを聴くなり
「この子の才能をこのまま放置するのはご両親の罪です。面倒は私がみるので、すぐに東京に出ていらっしゃい。」
とおっしゃいました。

久保さん:「この時もね、ヴァイオリンをするために仕組まれていたんだなと思うのよ。本当に偶然、折田先生が奄美にいらして、母が父へせっついてね...」

しかし、当時の奄美大島はアメリカ領。簡単には出られません。何度、渡航申請を出しても「なぜトウキョウなんだ?音楽留学ならアメリカにすぐ行けるんだからトウキョウに行く必要はない」と聞いてもくれません。途方に暮れるご両親に教会のアメリカ人の神父様がアドバイスをくださいました。
「両親が離婚したことにして、母親の実家(母の実家は鹿児島県)にヨウコを連れて帰ることになったということで申請してみたら?」

久保さん:「それで申請したらね、すぐに出られたの(笑)」

父を奄美大島に残し、母と娘、なんとかして鹿児島に出たまではよかったけれど、果たして随分時間も立ってしまったし、口約束だけで東京に出て行っていいものか…悩んだお母様は、少しの間、鹿児島で久保さんにレッスンをつけてから上京しました。すでに折田氏とで出会ってから3年が経っていましたが、折田氏や周りの人々は「やっと陽子ちゃんがきた!」と心から歓迎してくださったそうです。

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